台風の日曜

車で外に出ると風雨が結構凄い。

だけどみんなフツーに車を運転し、ガードレールや建物などもとくに何をするでもなく、フツーにそこにある。当たり前だが。ちょっと揺れてるのは看板くらいか。

竹富島に行ったとき、その田舎というよりも太古感。むか〜しの感じが凄まじく心地よく、ここは天国かと思ったんだけど、なんかそんなことをこの台風の日の外出で思い起こされたのだ。

むか〜しはこんな台風の日はきっと、みんな家の補強やら何やら。呑気にいつもどおりに買い物とかそんなワケなかっただろう。

町並みだってえらく違った風貌をしていたはずだ。

荒れ狂う木々。ぐちゃぐちゃの道。などなど。

それがこんなコンリート&ビル&アスファルトの町並みではそこまでの違いがないのだ。

日常である。

自然の脅威がはっきり見えてないというか、これではみんな自然から遠い間隔になる。当たり前にアスファルトの光景が当たり前であるだろう。

これが現代。まるで太古の人間とは感覚が違っているだろうな。

便利を使いこなせる人間なんか1割もいるんだろうか。

イライラは消えない

キャンプ行くとよくわかる。

いつのまにかイライラしている。

対策は用意してたはずだが、そんなもん何の役にもたたん。

後からまたイライラしてるなーと思うくらいだ。

そう簡単にも収まらないし、収める気にもサラサラならん。

どーにもこーにも、ほんとにもう、こういう人間のタイプだと割り切るしかないな。

気づくしかないな。できるだけ。

 

生きるだけ

勘違いしていたのかもしれない。

それはテレビのせいなのか

少年ジャンプのせいなのか

なんなのかはわからないが

 

頑張る、自分を磨き上げる、向上心をもつ

 

というのが人間の当たり前であり、

そこがゼロベース。

というもの。

 

しかし、それが当たり前にやれている人、

やりたいと思う人というのは一部であるのだ。

 

そして、生きるだけ。なんとか寿命まで頑張って生き延びるのが普通かどうかはわからないが、それもまた人生のバリエーションの一つ。

 

それをやるだけで大変であり、頑張っている事になっている人生。

それもまたしっかりと存在する人生なのかもしれない。

 

気づかなかった。

 

そして、もし余裕がほんのちょっとでもあったり、少しでも余裕が生まれると

初めてそこで人は何かをやろうと思い、行動に出る。

 

そんな流れ。

 

メカニカルアニマルズ、湿疹。

薬を塗ればひいて行く湿疹。どんなメカニズムか知らないが、まるで機械じゃないか。
俺に湿疹をひかせようとする意志は特になく、湿疹を出そうとする意志もない。
そして薬を塗ると、自動的にひいていく。

飲んでもそうなる。

 

人は自分の体がどういう仕組みで動いているのかがわからないので、調べてみたのか。

自分の体なのにわからないので。

(…自分のものと思い込んでるだけなのか??もしかして…

そもそも自分のものだからわからないとおかしい。というのが見当はずれなのか?

どちらにしても、実はこの体は自分のものじゃない。から、わからないのかもしれない。

そしたら自分のもの、なんてそもそも何もないのかもしれない。自分のもの  っていうのはただの幻想なのか?

だとしたら、自分  っていうのはやはり実体ではなく、意識   みたいなことなのかもしれない)

 

なので、調べてみたのは  自分  が乗り込んでいる、この、体。てことか。

 

わからないことをわからないままにしてはおけないのが人間の性。

いや、みんながみんなではないかな。

度合いは人それぞれ。

 

わからなくても、それ、使えばいいし。

わかりたいなら調べる。

 

結局ヒマができると人はあれこれ調べだし、考えだす。

ただ、そうする。

前回と真逆

願望が形になるなら、何にもとくに思ってないのに無意識に生きていて周りに形があるなら、

その形、ボーーーッと生きて送る人生というのは、その時代、そこの環境における、平均的な人生をただ送っている、だけ

ということになるんじゃないか?

その形は。

 

その人独自の、ユニークな、その人だけの人生を生きる。ということには少し遠いことになってしまうのではないか。

 

やっぱり、今現在、この時代でユニークに生きるには、自分の願望が何なのかをしっかり認識していないと。

そこにしかスタート地点はないな。